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2014年2月10日 (月)

それは信心利用です

創価学会の永遠の5指針なるものが、数年前に確か発表されたような気がするが、その中の「一家和楽の信心」・・・・これはハッキリ言って、この世に存在してはいけないものだと思う。

つまり、活動家の創価学会員の家庭では、家族全員が学会に入会し、家族そろって学会活動をしよう!ということだ。

これは、「家庭崩壊・親子関係の崩壊」を招くだけだ。

子供に対しては、信心を継承させるだかなんだか知らないが、子供の人権を無視し、思想を縛り付けることにより自由を奪う行為であるのは、間違いない。


子供は親から愛情を注いでもらい、安心して自分の未来を切り開いていけるように、自信と希望を持って生きていく権利を、誰もが平等に生まれながらにして持っているはずだ。

この「人間として自由に生きる権利」という領域には、たとえ親といえども、過剰に介入してはいけないはずだ。


それなのに、創価の歪んだ思想・行動を刷り込まれ、将来は学会の中で生きていきなさいと親が勝手に決める・・・・これは人権侵害だ!

ましてや、「自分たちの信心が一番正しくて、他はすべて間違っている。他のものは信じちゃいけない!見てはいけない!私たちの師匠を尊敬しなさい!」なんて、カルトという以外に、この状態を何と説明すればいいのか・・・・。


こんな中で育てられて、まともな人間が育つわけがない。


我が家のように、両親も親戚もそろってバリ活一族なら、ちょっとでも違う考えを持ち込もうとすると、「反逆者」「頭が狂った」という扱いを受けるのだ。

私が脱会してやったら、自分の父親から「ついに頭がおかしくなった」「頭が割れた」「大変なことが起きる(とんでもない仏罰を受けるという脅し)」など、愛情とは程遠い、罵倒の言葉をあびせられた。

冷静にこのような親の姿を見て、あきれるやら、恥ずかしいやら、腹立たしいやらで、どうにも心が落ち着かない。


もっとも、父親の場合、完全に「父オリジナル学会」のようなものを作り上げてしまっているようだが・・・。


昔組織でかじった教学を得意げに振りかざし、自分では自分の信仰を貫いているとカッコつけていたが(というか、すでにこの時点で創価学会員とは名乗れないと思うが)、自分が仏法の軌道から外れていることに気が付かないでいる哀れな人・・・・それが父親の現在の姿だ。




そういえば、私が脱会したことを両親に告げにいったとき、「もうこれ以上やりたくない」と私がハッキリ言うと、両親は「もう大人なんだから強制なんかしないよ」と平然と言ってのけた。

両親はあたかも、自分たちは今まで一度も強制なんかしたことありませんよ、という体を装っていた。

実際、彼らはそう思っているのだろう。


だが、どこをどうしたら、両親の頭の中がそうなるのか、どこで思考回路が自分達の都合のいいように組み替えられてしまうのか、本当に理解できない!

人間の頭の中は、自分達に都合のいいことしか残らないように、記憶が整理されてしまうものなのだろうか。

幼少のころより、ずっとずっと36年間も創価と信心に縛り続けてきたのは、お前らだろうが!

ハッキリ言って、自分たちの思想を強引に強制することは、そんなものは親のエゴだ!傲慢だ!

その責任を追及されると、「俺たちじゃなくて、お前が自分で望んだからそうしてきたんだろう」と、罪をなすりつける。

どうしようもなく、救いようのない親だ。

わたしは、父親のことは間違いなく捨てるだろう。


私たち家族を信仰を利用して絶対服従させ、絶対的権力者として君臨し続け、まともな親として与えるべき愛情を子供に与えず、長年にわたって浮気をし、妻と子供たちを欺き続け、傷つけ、それでも何とも思っていないあの汚らわしい人間を、もはや自分の父親だとは思えない。

父親のどのような言い訳も、弁解も、全く無意味だ。

おそらく、私がわが子に対して感じる「愛おしい」という感情と同じものを、あの人間は私に対して、一度も感じたことがないだろうと思う。

おそらく、私がこの世に誕生してから一度も・・・・。

母に関しては、私に対する愛情はもちろんあると思う。

そして、いつの日か、母には私の生きてきた苦しみの時間のすべてを理解してほしいと思っている。

母なら、きっと理解してくれる・・・と信じたい。

できれば、そこだけは信じたい。

すくなくとも、母が信心を脅しの道具として使ったことは一度もなかったように思う。

活動に没頭するあまり、私たち子供のことに関しては、ほとんど無関心な母親だったが・・・。


過ぎ去ってしまった時間はもう取り戻すことはできないが、私がどんな思いで生きてきたのか、そのことは絶対に母には理解してもらいたい。

「なかったこと」には絶対にできない。

何もしないで、私の中だけで許すことも絶対にできない。

私は、実際に傷ついて36年間も生きてこなければならなかったのだから。

母がどのような形でその責任を負うことになろうとも、「私の母親」としての務めはキッチリ果たしてもらいたい。

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