無料ブログはココログ
2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

  • 創価学会のこと
  • 私と家族のこと

« それは信心利用です | トップページ | 創価の歴史を紐解きはじめる »

2014年4月28日 (月)

創価学会とプロパガンダ

カウンセリングがなかなかいい感じで進んでおり、ようやく「両親」と「私」という関係を切り離した視点から観察できるようになってきた今日このごろ。

前回までの記事を読み返してみると、そうとう苦しんでたんだな・・・私・・・という感じだ。

今現在は、心に波風が起こって情緒不安定になることがだいぶ少なくなってきた。

母親とか、父親とか、とりあえずはもうどうでもいいや・・・という感じだろうか。

そのあたりの心の変化は、また後日あらためて整理してみよう。




それよりも、つい最近、あることに非常に衝撃をうけた。

今更なのだが、創価学会の中で日常的に誰もが使っている『活動家』という言葉について、学会以外の視点からあらためてこの言葉の意味について考えさせられたことがあった。

それは、私がいつも愛読しているとあるアンチ創価ブログのコメントに、創価のプロパガンダとナチスの用いていたプロパガンダの手法などの共通点、および宗教団体にもかかわらず「信者」ではなく「活動家」という言葉を用いていることへの指摘があった。

恥ずかしながら、プロパガンダという言葉を知ったのも実は割と最近で、しかもこちらのブログの記事で初めて知った言葉だった。

プロパガンダとは、Wikipediaによると、「特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為である」と冒頭に書いてある。

この社会の中で生活していくためには、当然プロパガンダと無縁の生活はできないわけだし(なぜなら、あらゆるプロパガンダが存在し、それら無くしては我々の生活、経済活動も存在しないことになるからだ。プロパガンダはあらゆる分野、領域においても使われ、常に我々の生活と密接な関係にあるからだ。詳しくはWikipedia参照。)、そもそも、戦争においては、国民の意識をまとめ上げるために、様々なプロパガンダの手法が用いられていたことは、歴史上の事実だ。


以下はWikipediaのコピペになるが、

「アドルフ・ヒトラーは宣伝手法について「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である。」と、感情に訴えることの重要性をあげている

とある。


また、アメリカの宣伝分析研究所というところが、プロパガンダ技術を分析し、次の七つの手法をあげている。

1.ネーム・コーリング - レッテル貼り。攻撃対象となる対象をネガティブなイメージと結びつ     ける(恐怖に訴える論証)。

2.カードスタッキング - 自らの主張に都合のいい事柄を強調し、悪い事柄を隠蔽する。本来はトランプの「イカサマ」の意。情報操作が典型的例。マスコミ統制。

3.バンドワゴン - その事柄が世の中の権勢であるように宣伝する。人間は本能的に集団から疎外される事を恐れる性質があり、自らの主張が世の中の権勢であると錯覚させる事で引きつける事が出来る。(衆人に訴える論証)

4.証言利用 - 「信憑性がある」とされる人に語らせる事で、自らの主張に説得性を高めようとする(権威に訴える論証)。

5.平凡化 - その考えのメリットを、民衆のメリットと結びつける。

6.転移 - 何かの威信や非難を別のものに持ち込む。たとえば愛国心を表彰する感情的な転移として国旗を掲げる。

7.華麗な言葉による普遍化 - 対象となるものを、普遍的や道徳的と考えられている言葉と結びつける。



・・・・・以上の七つは、あえてひとつひとつを学会と絡めて解説しなくても、学会に関わった経験のある方ならすぐにピンとくるものばかりだと思うのだが・・・。

宗門の日顕氏に対して忘恩の輩呼ばわりし、ここでは書くのもはばかられるような罵声を浴びせ、「今に大罰をうける」「ろくな死に方しない」などと侮辱の限りをつくし、幹部たちは「宗門との裁判にはすべて勝ちました!」などと得意げに言っているが、本当は学会原告の裁判のうち、勝訴は15%くらいしかなく、実に85%は学会側の敗訴となっていることは会員には一切知らされていない。

これはほんの一例にすぎず、学会員たちに対して、および世間に対して都合の悪いことはしっかりと揉み消したり隠したりするようなシステムが出来上がっていることを、会員たちは何も知らないし、知りたいとも思わないように、ガッチリと精神の奥深くまでマインドコントロールされている。

自分たちこそが「日蓮直結」だと信じ、「世界平和に貢献」していると思い込み、「唯一幸せになれる仏法」を信仰していると思い込む。

折伏、選挙などの気合いの入った会合の際には、シュプレヒコールをあげて会場のボルテージを上げまくり、高揚感による一種の集団催眠状態を作り出す。

「わたしもがんばる(涙目)!」「宿命転換するわ(涙目)!」「絶対に勝つ!」「きっとわたしにもできる!」



・・・・イヤ、宗教団体で「シュプレヒコール」って、そりゃないでしょ・・・・(苦笑)



一種の催眠状態のような特殊な状態を作り出すことにより、団結力を高めて、会場の意識を目的に向けて一ヵ所に集中させる。

そして、「池田先生のために!」「池田先生に御恩返しするために!」「池田先生に勝利の報告を!」「池田先生の敵をうつ!」・・・・・などなど、池田氏崇拝も織り交ぜながら、さらに「学会活動」に邁進していく・・・・・

結局のところ、学会員にとって、宗教的な理論や道理が大事なのではなく、「感情にどれだけ訴えかけられるか」「相手の感情をどう動かせるか」という、まさにヒトラーが堂々と使っていた手段と同じものが重要視されていたのである。


確か折伏も選挙も、「あなたの一念が相手の心を動かす」などとよく言われていたっけ・・・。


学会活動の原動力は、結局のところ、「感情論」でしかなかった。


幹部は会員たちをいかにして「やる気」にさせるか、末端会員たちは、いかにして「やる気」を奮い起こすか。

日蓮の教えがどうとか、絶対的幸福とか、そんなものはすべてただのお飾りだ。

「仏罰・宿業」という恐怖心、そしてあるはずのない「絶対的幸福(・・・って何だよ!?)」という言葉を巧みに用いて、会員の感情のコントロールを上手に行っていたのが、学会上層部の正体じゃなかろうか。

・・・なんとよくできたシステムだろうか。


覚醒している人、もしくは覚醒途中の人ならわかると思うのだが、創価学会が現在のような巨大宗教団体にまで発展できたのは、歴代会長および、学会中枢部の人間たちが、プロパガンダの手法とマインドコントロールの手法を見事に絡めて、その手腕を余すところなく発揮したからではないだろうか。

そうして、それがバッチリと創価学会が誕生した時代にマッチしたからではないだろうか。



本当に私は不勉強で、知識が足りなくて、今さらこのようなことに気が付き、ようやく事実を知ったのは、本当に本当に恥ずかしい限りだ・・・。



もっとも、ガッツリとマインドコントロールされている脳では、創価学会とは結びつきもしないような知識なのだが・・・。

けれども、学会と無関係の知識ある方々は、外側からじっくりと創価の実態をながめ、とっくの昔からこんなことに気が付いていたのだろう。

そして学会の行く末を見守り、警鐘を鳴らし、創価のマインドコントロール下ではタブーとされていたメディアのネガティブ記事(実はそちらの方が真実だったりするのだが・・・)などで、実は世論に訴えかけていたのだろう。



「真実は自分の目でしっかりと見て、確かめないといけないんだよ。何が真実で、何が嘘なのか、しっかり見極めないといけないんだよ!」


・・・・・などと、さもわかったような顔をして、エラそうに、上から目線で言っていた私自身が、じつは何も知らない大ばか者だった・・・・。




それから何よりも衝撃だったのが、「活動家」という言葉の意味を、あらためて思い知ったことだ。

私は生まれてからずっと創価学会の環境の中で生きてきたため、「活動家」といえば、創価の活動家のイメージが強かった。

「創価学会の活動家」という言葉に対して、何の違和感も感じたことがなかった。

それは子供の頃からずっと聞いてきた言葉だったし、自らも一時期は創価の活動家として動いていた時期があったからだ。


けれども、『活動家』という「言葉」自体、そもそも政治活動やある種の社会的な活動を行っている人に対して使うことが多い言葉であり、仮にも「信仰者」たちが自らを称する言葉ではないのではないだろうか・・・・????


仮にも宗教ならば、宗教団体ならば、普通は「信者」「信徒」などという言葉を使うのが普通ではないのか??

さきほどから自分で文章を書いてきて、ますます「創価学会の活動家」のしていることは、「政治活動をする団体」や「秘密結社?」の活動家(イメージだが)のようなニュアンスが感じ取れるようなことばかりだということに気づかされたのだが・・・。。。

愛読しているブログでそのことを指摘されていた方の非常に鋭い視点に、ただただ感服するばかりである。

わたしもその方の言わんとしていることが理解できたとき、まるで雷に打たれたような激しい衝撃を受けた。

全身を戦慄が走り抜け、体中の毛が逆立つような感覚を覚えた。

« それは信心利用です | トップページ | 創価の歴史を紐解きはじめる »

「創価学会のこと」カテゴリの記事