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2014年5月14日 (水)

脱会者の視点

創価学会を脱会する理由は人それぞれだと思う。


私が創価の間違いに気が付き、マインドコントロール(MC)が解けるきっかけとなったのは、自分自身が子供の頃から抱えてきた心の問題を掘り下げてみたところからだった。

子供の頃からずっと創価に対して嫌悪感を感じ、矛盾を感じ、嫌で嫌でたまらなかったが、そのことを自分の意識にハッキリと上らせることができなかった。

それほど強力に精神の奥深くまでMCされていたのと、両親と自分との歪んだ親子関係がそうさせていたからだ。

子供のころから抱えてきた、心の奥深くに常に存在する得体の知れない不安感、恐怖感、さまざまな負の感情が私を36年間もの間、苦しめ続けてきた。

それらを紐解き始めたら、どうしてもその延長線上に「創価学会」の存在があることを、嫌でも認識しないわけにはいかなくなった。


「わたしは創価学会が大嫌いだ」


今までずっと子供のころからタブーとしてきた認識。

本当は自分でもわかっているけれど、それを認めてしまったら、私の存在意義がなくなってしまうという恐怖感・・・。

そのはざまで揺れ動き、押しつぶされそうな苦しみ。


「学会を離れたら、必ず不幸が起こる」

「学会を離れることは、親を裏切ること」


認めるのが怖かった。

ひたすら怖かった。

仏罰・宿業が怖かった。

両親から見捨てられるのが怖かった。


「本当の自分」を見失ったまま、気が付けば36年が過ぎていた。

カウンセリングを続けながら、ここ半年、静かに自分と向き合ってきた。

向き合う?


イヤ、そんな生易しいものではなかった。

つるはしやドリルを使って(時にはダイナマイトを使ったりして・・・)、歪んで作り上げてしまった自分をガンガン、ドカーンとぶっ壊し、一度粉々の木端微塵にした。

食事も睡眠も取れず、体重も5キロ以上減り、自分で言うのもなんだが痛々しい姿になってしまった(笑)。

そうして今、その瓦礫の山の中から少しずつ「本当の自分」のかけらを探している最中だ。



学会二世、三世たちには、私のような人が大勢いる。

生まれたときから創価学会の中で育てられ、唯一絶対正しい仏法だと教えられ、仏罰・宿業の恐怖で心を縛られ、たとえ本人がバリ活にならなくとも、子供のころから植え付けられた「恐怖心」「忠誠心」は絶対的なものになっている。

本人は意識していなくとも、心の奥深くに、このような感情が埋まっている人が多いはずだ。

個人のもともとの性格、気質はもちろん、生活環境や両親との関係なども複雑に関係しているが、「心が縛られる」感じは、学会二世、三世たちは強烈に感じている・・・。


創価学会のおかしさ、間違いに気が付く・・・というか、「創価の間違いを認める(認識する)」ということは、それまで築き上げてきた自分のアイデンティティーを否定する、壊すということにほかならない。

私は哲学者でも心理学者でもないが、「自分の生きてきた過程を否定する」のが、どれほどのショックと恐怖をもたらすのか・・・これはすでに体験済みだ・・・。


だから、創価の中で生きてきた時間が長ければ長いほど、「真実」から目をそらしたくなるのも理解できる。

目の前で泣いている子供よりも、お腹を空かせている家族よりも、悩み苦しんでいる家族よりも、学会活動を優先させてきた自分を否定するなんて、恐ろしいことだろう。

存在しない「福運」や「絶対的幸福」などという「絵に描いた餅」をひたすら追い求めていただけだ、と気が付いたら、本当に心が壊れてしまうだろう。



創価学会は、戦後の混乱期に乗じて、たまたまのし上がってきた新興宗教だ。

日蓮仏法の「現世利益」という概念が、戦後の混乱期を必至で生きている人たちの心のよりどころとして、一時的に受け入れられただけなのだろう。

現在の創価学会の真実の姿を知ろうと思えば、いくらでも知ることができる。

けれども、そうするためには学会員自らが気が付くしかない。


「創価学会はおかしい」と。


自分の心に正直に生きなければ、いつか破綻する。

心が壊れる。

真実は、自分で少しずつ調べて、知って、時間をかけて受け入れていくしかない。


真実を知れば、「・・・それでも学会にもいいところがあるから。。。」などと言っていられなくなる。

聖教新聞や民音の券などの地区ノルマ、財務や公布基金などとお金をやたらと搾り取られ、選挙の票集めをさせられ、労働力を無償で提供させられる。

じゃあ、数百万人から集めたお金の使い道は?

完全MC頭ではそんなことを考えたりしなかったが、池田大作の名誉称号を買い漁るためにも本当に使われていたのだ。

海外の大学や芸術団体のいわゆる「パトロン」として、池田個人の名前で多額の金を寄付し、その見返りとして「名誉称号」という形をもらっている。


以前、活動家のころ、「マスコミや世間は、池田先生に対する評価が気に入らなくて、嫉妬して名誉称号をお金で買ってるなんて言うのよ。そもそも、お金もらって名誉博士をあげる大学なんて存在するはずない、そんなこと言うのは、その大学に対する侮辱でもあるのよ!」

・・・なんて言っている幹部の言葉を鵜呑みにして、「そうだ!そうだ!」と思っていたが、皮肉にも、その幹部の言っていることが、本当に「真実」だったのだ・・・。

もう、創価学会の日々の活動から、本部幹部たちの言動、池田大作の傲慢さについてなどなど、書き出したらきりがなくなるのでやめておくが、本当に学会員はみんなお人よしすぎて、救いようがないくらいだ。


いわゆる「学会のいいところ」とは、結局、「人と人との温かい繋がり」だけしかない。

人間同士のつながりだけなら、別に創価でなくてもいいわけだし、「誰彼にお世話になった」というのも、その人の人間性に魅力があるわけで、創価とは無関係だ。

そもそも、人間がたくさん集まるところには、自分にとって好きな人や苦手な人、気の合う人や合わない人、いろんな人間がいてあたりまえで、たまたま「創価学会」という集まりの中で人間同士の繋がりができた、ということだけなんじゃないか・・・と思う。

組織の中の個人的な人間同士の関わりと、創価学会という団体自体、存在自体を混同してはいけない。

どこからどう見ても、どのような言い訳をしても、現在の「創価学会」という団体は、犯罪まがいのことをやり、人権を侵害し、法に触れない(今のところは)ギリギリの状態を保っているだけだ。

創価学会は戦後の混乱期を乗り切るための希望(的な独特の思想)と、人間のつながりを提供してくれたかもしれないが、現在は、その存在意義をすでに失っていると思うのだ。


・・・創価学会に存在意義なんて、大それたものがあるとすればの話だが・・・(笑)。

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